ケータイ辞書JLogosロゴ 小千屋(中世)


新潟県>小千谷市

 戦国期に見える地名。越後国魚沼郡のうち。小地屋とも書く。永禄5年11月28日の上杉輝虎書状に「今秋先年之調儀依心懸,去廿四,府内を打出,今日廿八,号小地屋所迄進馬候,爰元相急候間,越山不可有程候」とある(野田文書/越佐史料)。永禄12年5月18日の進藤家清書状には「一,明日〈十九〉下倉へ可有着候,廿日ニハおぢ屋へ着可被申候」と見え,北条氏康から上杉謙信に遣わされた和睦の使者僧天用院一行も当地を通過しており(伊佐早謙所蔵文書),春日山城から関東にかけての宿継ぎの拠点と推定される。年月日未詳の高梨氏所領注文に「一,小千屋〈十七ケ所之内 相駄四ケ所失念,思案之上重而可書加也〉一,高梨」とあり,現小千谷市域の中心部から北部にかけては信濃高梨氏により領有されたこともあった(高梨文書)。信濃川段丘崖に残る深地城(慎知とも書き,船渡城ともいう)は,城主について諸説ある。永禄2年10月上杉景虎の京よりの帰国を祝賀した諸将のうちに,「披露太刀ノ衆」の1人として「おぢや殿」と見えるが(上杉家文書),何者なのか,深地城と関係あるのか未詳。天正12年2月6日斎藤朝信は「小千屋中使」八文字屋に塩莚1枚と屋敷1軒を給した(東徳右衛門所蔵文書/越佐史料)。この八文字屋は東氏で近世に肝煎となるが,すでに慶長14年9月11日八文字屋与三(東徳右衛門)が「小千谷町」の検地を行い五智院へ進上している(小千谷市史史料集)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7307774
最終更新日:2009-03-01




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