ケータイ辞書JLogosロゴ 女谷村(近世)


新潟県>柏崎市

 江戸期〜明治22年の村名。刈羽郡のうち。元和2年長峰藩領,同5年高田藩領,天和元年からは幕府領。村高は,「正保国絵図」181石余,「天和高帳」366石余・新田62石余,「天保郷帳」751石余。延宝7年高帳には,高414石余,番所4か所,頸城【くびき】・刈羽境とある。現在も小字名に番屋・元番屋が残っている。天和3年石盛帳(弘前市立弘前図書館蔵)には,端村として折居村・清水谷村・石黒村・峰村の記載が見える。明治元年惣高家数取調写帳(柏崎市立図書館蔵)には戸数100。綾子舞が高原田・下野に伝えられ,文化・天保年間2回目の興行記録がある。現在は宮原の黒姫神社で9月15日の祭礼に上演。明治12年女谷・折居・市野新田・清水谷・谷川新田5か村で戸長役場を当村に置く。明治7年観音寺に女谷校を創立。同22年女谷村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7307798
最終更新日:2009-03-01




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