ケータイ辞書JLogosロゴ 笠木村(近世)


新潟県>新潟市

 江戸期〜明治22年の村名。蒲原郡のうち。長岡藩領。村高は,元和4年御知行目録(県史資料編7)204石余,「正保国絵図」234石余,「元禄郷帳」204石余,「天保郷帳」684石余。文化3年年貢割付状(朝妻家文書)によれば,本途204石余,天和2年までに開発の外新田367石余,享和3年までに開発の新田111石余,取米105石余,夫銀などの諸役銀149匁と大豆33俵を納入。安永〜天明年間頃以降の庄屋は古俣家が世襲。文化〜文政年間の庄屋与兵衛は三潟悪水抜き願人の1人として活躍。文政3年の新川開削によって大潟の水位が下がると周縁部の開拓にあたり,笠木村請33石余を開発,文政7年藩の検地を受けた。慶応2年の家数100(新潟町会所文書)。長岡城下と新潟湊を結ぶ長岡街道が地内を通り,西川には蒲原船道の大艜船(コウレンボウ)が往来した。神社は,諏訪社・住吉社。寺院は真宗大谷派願正寺。明治6年曽根校分校笠木校設置(のち明治20年尋常科笠木小学校と改称)。同10年笠木村請を合併。同12年西蒲原郡に所属。同22年新通村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7307986
最終更新日:2009-03-01




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