ケータイ辞書JLogosロゴ 鍛冶町(近世)


新潟県>村上市

 江戸期〜明治19年の町名。江戸期は村上城下の1町。明治12年からは村上を冠称。大町札ノ辻から瀬波町へ通じる道の,小国町と肴町の間。慶長年間,上町から西へ入った現在の細工町にあった町を移した。寛永12年村上惣町並銘々軒付之帳では,新鍛冶町とあり,家数17,うち御鉄炮衆2・御蔵下代1・十人組頭1,肝煎は源四郎。町内の間口は肝煎が13間,ほかは10間と9間で,他町に比較して広い。神社は十二社。同社は北側町並みの裏手段丘下にある。この一帯は字中貝といい,元和初年までは中貝村があり,村上藩が15万石当時は組屋敷があった。当町はその名のごとく鍛冶屋が多く,鍬・鎌のほかに和釘の製造が盛んで,村上釘として知られていた。嘉永2年の家数87。明治5年小国町・肴町・新肴町とともに5番組となる。当町の用掛は川村七郎治。同19年村上町の一部となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7308019
最終更新日:2009-03-01




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