ケータイ辞書JLogosロゴ 片貝村(近世)


新潟県>小千谷市

 江戸期の村名。三島【さんとう】郡のうち。元和2年長岡藩領,元禄16年幕府領,享保9年長岡藩領,宝暦10年高田藩領,同13年からは幕府領。なお,正保4年一部が高田藩領となり,以後,佐倉藩領,淀藩領を経て,天明6年からは幕府領となる。村高は,「正保国絵図」681石余,「天和高帳」180石余・新田2石余,「天保郷帳」892石余。天和3年検地帳では,村高442石余,反別43町余。寺院は浄土真宗浄照寺・真言宗真福寺,社堂12。延享2,3年と天明4年佐藤佐平治家では飢え人への施行を行った。天明2年庄屋ほか有志が学問所朝陽館を建てる。寛政4年幕府領分の庄屋20人が長岡藩領化の風聞に対し,免れるべく協議をしたという(やせかまど)。文化4年新開地踏査のため江戸巡見使役勘定方野田吉五郎一行が来村。同6年,正保4年の長岡藩領分が片貝村古料,同年の高田藩領分が片貝村新料として分かれる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7308056
最終更新日:2009-03-01




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