金沢(近代)
明治22年〜現在の大字名。はじめ吉樫村,明治34年下塩谷村,昭和29年からは栃尾市の大字。明治40年栃尾実業補習学校(現県立栃尾高校)が設立された。大正期には開田が盛んに行われたが,織物工業の発達に伴い,農家の次男・三男は市外・県外に流出,女子は織物工業に従事。戦後の高度経済成長は当村にドーナツ化現象をもたらし,宅地の増加率は栃尾一と思われるほどで世帯数は昭和30年105,同40年225。刈谷田川の氾濫原は,かつてほとんど水田だったが,昭和38年川沿岸に平〜金沢間の道路が開通し,工場が進出。宅地造成も進み,水田は急減。一部が,昭和48年東町・金町1〜2丁目,同53年金沢1〜5丁目・原町1〜5丁目となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7308175
最終更新日:2009-03-01