ケータイ辞書JLogosロゴ 金谷村(近世)


新潟県>柿崎町

 江戸期〜明治22年の村名。頸城【くびき】郡のうち。はじめ高田藩領,天和元年幕府領,貞享2年高田藩領,寛保2年幕府領,文化6年からは高田藩領。村高は,「慶長国絵図」では金屋村98石余,「正保国絵図」では金屋村147石余,「天和高帳」197石余・新田6石余,「天保郷帳」203石余。天和検地では,反別田13町余・畑2町余・山5町余。宝暦3年宗門改帳では家数24・人数111(山本家文書)。寛政2年裏手の山に長さ330間・高さ6尺3寸の砂除垣3か所造成の願書を提出,同4年・同11年・享和元年・文化2年にも同様の砂防工事を出願している(同前)。用水は山谷・金谷・雁海・法音寺・谷内5か村で五ケ用水(雁海堰)を利用。寛政元年金谷・山谷両村間に水論が発生,同6年調停。天保5年中山堰をめぐり,水上組中山・大清水両村と水下雁海堰組との間に争議があり,前者の江幅3尺5寸,後者の江幅1丈5寸とすることで妥結した(山本家文書)。鎮守は日之宮社。明治7年米山川上流水源山争議(炭焼のためこれを民有地とする小萱村と水源確保のためこれを官有地とする水下各村との争い)では,金谷・山谷・法音寺の各村が県に嘆願書を提出,同11年経費を村高に応じて配分している。明治12年からは中頸城郡に所属。同18年金谷小学校が開校。同21年の戸数25・人口166。同22年七ケ村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7308196
最終更新日:2009-03-01




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