ケータイ辞書JLogosロゴ 加納(中世)


新潟県>柏崎市

 南北朝期から見える地名。越後国刈羽郡のうち。永和2年5月の毛利元春自筆事書案(毛利家文書1/大日古)に,曽祖父了禅跡所領佐橋荘7か条のうちとして「庄屋カンナウ二ケ条ハ親父宝乗分也,土貢八百余貫」と見える。庄屋は現柏崎市南条付近,カンナウは同加納に比定される。庄屋・カンナウ2条は宝乗(元春の父親衡)からその息子の匡時・直広(直衡)らに相続されている。庄屋は鯖石川の東岸にあり,佐橋荘南条地頭の本拠地。これに対してカンナウは鯖石川の西岸にあり,鵜川荘域と推定される地であるが,あるいは佐橋荘に属し貢納したので加納の名が生じたものか。下って戦国期,御館の乱で北条毛利氏が没落すると,上杉景勝はその知行地を没収,天正9年11月軍功の将兵にこれを与えた。その中に「北条内加納分」が見え,千木良主膳・大津又五郎・佐藤仁兵衛・同甚兵衛らが拝領している(上杉家御年譜)。北条城の属将加納氏は毛利一族と伝え,その居城跡は光賢寺の北側にある。光賢寺は天正年間蒲原郡大崎村より移転したという。また,周広院の開基は八石城主毛利周広,清滝寺の開山は泰澄と伝える。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7308240
最終更新日:2009-03-01




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