ケータイ辞書JLogosロゴ 上猪子田村(近世)


新潟県>浦川原村

 江戸期〜明治22年の村名。頸城【くびき】郡のうち。はじめ高田藩領,天和元年からは幕府領。村高は,「慶長国絵図」31石余,「正保国絵図」62石余,「天和高帳」85石余,「天保郷帳」205石余。享保3年中猪子田村大川端にあった当村の田地1町余が山崩れで埋まり,同8年になっても復旧せず畑成であった。明和年間のものと思われる山里蝋実穂村別帳(国立史料館蔵)によれば,定納の山蝋実2升余・里蝋穂48貫目のほか,臨時納として里蝋穂1貫960匁を吉木(新井市)の蝋点所に納めている。安永9年の新田検地で新たに119石余が打ち出された。同検地では荒地同然の地まで竿入したので,年貢上納が困難だとして,寛政元年再検地願を出している(村松家文書)。天明飢饉に際して,天明3年村役人らを除く43軒234人の急夫食拝借願いが出された。また,同4年には男65・女60が離村していたという(浦川原村史)。幕末に地内で草生水【くそうず】(石油)が発掘された。神社は玉社神社。明治12年からは東頸城郡に所属。同21年の戸数47・人口335。同22年中保倉村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7308316
最終更新日:2009-03-01




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