ケータイ辞書JLogosロゴ 上方(中世)


新潟県>柏崎市

 南北朝期から見える地名。越後国刈羽郡鵜川荘安田条のうち。暦応4年4月13日付の光福寺(京都府綾部市)宛上杉朝定寄進状に「鵜河庄内安田条上方事」と見える。鵜川荘安田条地頭職は毛利道幸が恩賞として室町幕府から拝領していたが,上杉朝定が安田条内の上方を菩提寺の光福寺,のちの安国寺に寄進したことから安国寺と毛利氏の争いとなり,二十数年間,毛利道幸・憲朝親子2代にわたり上方領有をめぐる紛争が続く。康暦2年6月足利義満は毛利修理亮憲朝に亡父道幸の譲状どおり安田条地頭職を安堵したが,康応元年10月の義満御教書では毛利氏の安田条の領有は認めるものの,その一部をなす上方は安国寺領としている。これに対して毛利氏はその後も安田条全域の領有を主張したらしいが,最終的な決着は不詳(安国寺文書・反町毛利安田文書)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7308356
最終更新日:2009-03-01




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