ケータイ辞書JLogosロゴ 上金原村(近世)


新潟県>柿崎町

 江戸期〜明治22年の村名。頸城【くびき】郡のうち。はじめ高田藩領,天和元年幕府領,寛保2年からは高田藩領。村高は,「慶長国絵図」229石余,「正保国絵図」264石余,「天和高帳」325石余・新田37石余,「天保郷帳」362石余。天和検地後とみられる国田組村々明細書上帳によれば,反別は田20町余・畑8町余・山6反余・新田3町余,家数21・人数102,馬9(中村家文書)。古来用水確保には苦労が多く,はじめ丸山堰によっていたが,元文3年からは十王堂堰の創設に当たって江筋を提供したことから下金原とともにその客水権を確保した(小池家文書)。嘉永年間蒲原へ旅行した村人が梨の苗木を持ち帰って,のち明治20年頃から「上金原の梨」として本格的に栽培するようになる。明治12年からは中頸城郡に所属。同21年の戸数29・人口176。同22年下黒川村の大字となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7308366
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ