ケータイ辞書JLogosロゴ 上木津村(近世)


新潟県>横越町

江戸期〜明治10年の村名蒲原郡のうちもと木津村の一部で,「中蒲原郡誌」によれば,天正年間上杉氏の家臣,千坂対馬守の家人田中大炊助が当地を開発したという寛永16年横越島絵図に当村と下木津村が見え,当時分村していたと思われるしかし,寛文4年郷村高辻帳(県史資料編8)では木津村として当村・中木津村・下木津村を合計した高が書き上げられているように,3か村が一村として把握され,下木津村の石井家が統括することが多かったという(横越村誌)元禄11年中木津村が椎谷藩領となるに及んで各村が一村として把握されるようになったと思われる小阿賀野川右岸地名は,昔阿賀野川に沿った村で,会津地方の薪炭材木の集中する地であったことによる(中蒲原郡誌)はじめ新発田【しばた】藩領,慶長15年沢海【そうみ】藩領,貞享4年幕府領,宝永4年旗本小浜氏知行,天保15年からは幕府領村高は,「元禄郷帳」「天保郷帳」ともに105石余庄屋は当初田中家が勤めていたが,慶長年間引退,同家の娘と石井家の次男とを結婚させ庄屋としたというその後,元禄6年谷内田家,同12年石井三右衛門,宝暦5年五兵衛,嘉永6年平太などの名が庄屋として見える水害の多い村で,享保8年・安永8年に堤防が切れるなどの被害を受けている鎮守は弥彦神社寺院は真言宗光明院幕末に山田貢・原淳硯の寺子屋があった明治10年木津村の一部となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7308379
最終更新日:2009-03-01




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