ケータイ辞書JLogosロゴ 上灰庭新田(近世)


新潟県>柿崎町

江戸期〜明治5年頃の新田名頸城【くびき】郡のうち柿崎川上流左岸の河岸段丘上寛文年間以降の開発と考えられる地名の由来は不詳であるが,「灰」は拝で,ぬかずくの意とする説があるその場合「庭」は,場所を意味することになる近くに灰庭城があったとも伝える(黒川村是)また,灰庭は「みはり場」を意味するともいう上を付したのは下手の下灰庭新田と対比したものはじめ高田藩領,天和元年幕府領,寛保2年からは高田藩領村高は,「天和高帳」77石余,「天保郷帳」では芋島村枝郷とあり同じく77石余天和検地後とみられる国田組村々明細書上帳によれば,芋之島村上灰庭新田とあり,反別は田4町余・畑6町余(中村家文書)用水は柿崎川と支流根小屋川からの大江用水を利用元文6年・延享5年・寛政元年・同3年には芋之島村・上灰庭新田から用水堰普請御頼目論見帳を奉行所に提出している(小山家文書)明治5年大区小区制の実施の折,芋島村の一部となったと思われる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7308515
最終更新日:2009-03-01




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