ケータイ辞書JLogosロゴ 上干溝村(近世)


新潟県>中里村

江戸期の村名魚沼郡のうち田沢村22か村の1つ清津川が信濃川に合流する右岸台地上地名の由来は不詳だが,干溝は用水不足の土地柄を示しているものと思われる下流にも干溝村があることから上干溝村と称したはじめ高田藩領,天和元年からは幕府領村高は,「正保国絵図」では干溝村36石余,「天和高帳」58石余・新田3石余,「元禄郷帳」では「古者,干溝村」とあり61石余天和2年検地では反別7町余,のち宝暦6年新田検地で新たに8町余が打ち出された元禄7年改村鑑によれば,家数5・人数61,馬12鎮守は十二社ほかに薬師堂がある庄屋は田沢本村に置かれた江戸中期以降は田沢村の一部となったと思われるが(天保郷帳),その後も独立して扱われることがあった善光寺街道東通りが村内を通っており,文政年間には継立場となった宝暦13年清津川に渡船場が設けられ,卯ノ木村とともに渡し場を管理した干損地で,近隣4か村とともに天明5年から用水工事に着工,寛政元年一部通水が可能となった清津川では鮭漁が盛んで,年々役銀を上納した文政元年十二社・薬師祭礼市として市場を開き,その後上野市(現川西市)から差止めの訴訟が起こされたが,祭礼市であると主張して譲らなかった
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7308533
最終更新日:2009-03-01




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