ケータイ辞書JLogosロゴ 苅羽郷(中世)


新潟県>刈羽村

 鎌倉期に見える郷名。越後国刈羽郡のうち。「明月記」正治元年9月22日条に「苅羽郷」と見え,藤原定家の所領であった。正和2年11月14日の源光広和与状写によると,当郷半分は石河氏の所領となっている(秋田藩家蔵文書)。下って,永正7年5月日の長尾為景制札写に「刈羽善勝寺」と見え,同寺における濫妨狼藉の停止が命じられている(善照寺文書)。現刈羽村寺尾の善照寺は,寛正2年6月12日の斎藤清信田地売券写に「船丸善照寺」と見えるように(同前),刈羽村刈羽の船丸に所在した時期があった。永禄3年10月の貫屋家兼売券案には「かりハ」と見え,伊勢御師・伊勢信仰との関連が考えられる(京大来田文書)。なお,応永18年8月19日の居多神社社領注文に「苅羽郡内 六反 萑守〈安丸別給〉」,享徳3年6月15日の西方秀義寄進状に「苅羽郡萑森西村」と見えるのは,現刈羽村刈羽の雀森であろう(居多神社文書・善照寺文書)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7308666
最終更新日:2009-03-01




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