ケータイ辞書JLogosロゴ 北方村(近世)


新潟県>新穂村

 江戸期〜明治22年の村名。加茂郡のうち。幕府領。村高は,元禄7年検地帳1,691石余,「天保郷帳」1,694石余。元禄7年検地帳では田1,591石余・97町余,畑67石余・8町余,屋敷33石余・2町余。「巡村記」によれば,天保12年の家数114・人数476,高1,694石余,田97町余・畑12町余,取米702石余,御林4・百姓林6・秣場3,寺院は真宗立蓮寺,真言宗の円通寺・万福寺・善意寺・明王院。享和4年長百姓株を固定する村掟ができた。明治15年の戸数129・人口561,職業は農業のほか大工・桶屋・米穀商・馬車引・水車屋・人形遣い・木羽へぎ・豆腐屋・床屋など。同22年新穂【にいぼ】村の大字となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7308923
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ