ケータイ辞書JLogosロゴ 北潟村(近世)


新潟県>栄町

 江戸期〜明治22年の村名。蒲原郡のうち。はじめ新発田【しばた】藩領,寛永5年同藩の分知家である旗本溝口宣秋(切梅陣屋)・溝口宣俊(池之端陣屋)・溝口宣知(二ツ堂陣屋)の各知行の相給となる。同13年御知行所草高之御帳によれば,宣秋知行151石余・宣俊知行247石余・宣知知行523石余。その後,万治2年溝口宣知知行は無嗣絶家のため幕府に上知され新発田藩領地となり,寛文2年からは幕府代官所の直轄地となった。その際,残りの宣秋・宣俊両家は願い出て当村や帯織村などの知行地を上知して井栗村などの旧宣知知行地との替地が許され,当村は全域が幕府領となった。そして,同7年村上藩領,宝永元年からは幕府領となる。村高は,「正保国絵図」960石余,「元禄郷帳」1,031石余,「天保郷帳」1,042石余。地内には油田・油免の地名があり,すでに江戸期の早い時期から石油がにじみ出て灯火に利用したことがうかがわれるが,本格的な石油の発見は文政年間に島影新兵衛によると伝えられる。天保9年には硫黄も産出したという。小丘に鎮座の富士社は諏訪・大山祇両社の合祀。十二峠に十二社があり,地名「すみよし」の地は水神住吉社の跡。古刹曹洞宗雲居寺は溜池の破堤で現在地へ移り,元屋敷址がある。明治12年南蒲原郡に所属。同22年大潟村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7308928
最終更新日:2009-03-01




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