ケータイ辞書JLogosロゴ 九島村(近世)


新潟県>上川村

 江戸期〜明治22年の村名。蒲原郡のうち。はじめ会津藩領,文化8年幕府領,文政3年からは再び会津藩領。村高は,文禄3年高目録帳187石余,寛永20年保科正之拝領高187石余,「元禄郷帳」235石余,「天保郷帳」510石余。文化初年頃の戸数は本村31,小名の地蔵屋敷5・泥浮平1,端村の長木15,寺社に熊野宮(本村・長木),曹洞宗正法寺がある(新編会津)。文政3年庄中御高免相有人馬改帳では,高648石余,うち本田324石余・新田324石余,戸数50・人数280,馬30。元和6年には御役漆木2,046,寛永14年には鮎役60を負担。貞享2年小川庄上条組地下風俗家業旧例改帳によれば,初春から鍛冶炭を焼き,耕作の合間には会津街道に出て馬方稼ぎをしたという。宝暦5年野村組御役紙請取書には紙1束が記され,出原【いずはら】紙をすいていたことが分かる。上条組では最も大きい村であるが,肝煎斉藤九兵衛家が明治元年世直し一揆の際襲撃を受けて旧記類が焼失したため,その詳細を知ることはできない。明治8年の戸数53・人口337(若松県管内地誌)。同12年東蒲原郡に所属。同22年上条村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7309120
最終更新日:2009-03-01




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