ケータイ辞書JLogosロゴ 久保多町(近世)


新潟県>村上市

 江戸期〜明治19年の町名。江戸期は村上城下の1町。明治12年からは村上を冠称。庄内町の枡形の北東に続く家並み。家並みの南側は与力町の堀と土居,北側は門前川が西へ流れている。寛永12年村上惣町並銘々軒付之帳には見えないが,それ以前の成立と考えられる。越後村上城図には窪田町と記されているので,元和末年〜寛永初年にできたとも考えられる。はじめ久保田町と書いた。宝永2年村上町之覚によれば,家数53・竈数128,山伏は吉祥院と門秀,役馬は16疋で年々米35俵を下付されている。元禄7年大火があり,また,享保6年にも120軒を焼く大火があったことから,町名を久保多町と改めた。なお,宝暦8年にも116軒を焼く大火があった。元和初年の村上城図には,枡形の土居外に観音堂,北側家並みの裏に馬場が描かれている。観音堂は寛永9年家老山川次郎左衛門の建てた馬頭観世音堂で,宝永元年塩町に移された。明和5年その跡地に秋葉神社が建てられた。嘉永2年の家数118。明治5年片町・上片町とともに3番組となる。当町の用掛は横井与吉。同19年村上町の一部となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7309199
最終更新日:2009-03-01




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