ケータイ辞書JLogosロゴ 熊森村(近世)


新潟県>分水町

 江戸期〜明治22年の村名。蒲原郡のうち。熊ノ森村とも書く。元和2年三条藩領,同9年幕府領,慶安2年村上藩領,享保2年高崎藩領,宝暦2年幕府領,同13年高崎藩領,寛政12年幕府領,享和元年からは高崎藩領。村高は,元和6年知行目録278石余,「元禄郷帳」744石余,「天保郷帳」1,027石余。文化14年の家数178・人数1,105。神社は諏訪神社。寺院は浄土真宗本願寺派西敬寺・勝誓寺・長円寺・勝円寺。西洋医学の定着と普及,写真術の紹介に努め,イタリア軒のスポンサーとなり,肉食・牛乳の普及を啓蒙するなど,文明開化のリーダーとして地方政治・金融,実業界の発展に影響を与えた新潟病院長・竹山病院長の竹山屯は天保11年当村の蘭方医竹山甫祐の四男として生まれている。陸軍法官として金沢戌監獄長に進んだ霜鳥亀太郎,政治家として地方開発に功績のあった山浦大治郎も当村の出身。粟生津【あおうづ】長善館門人帳に当村の竹山亨・竹山周次・竹山屯ら8名の名前が見える。明治12年からは西蒲原郡に所属。同21年の戸数210・人口1,187。同22年市制町村制施行による熊森村となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7309230
最終更新日:2009-03-01




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