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- 蔵岡村(近世)とは
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蔵岡村(近世) 江戸期~明治10年の村名伯耆【ほうき】国汗入【あせり】郡のうち大山【だいせん】北麓阿弥陀川とその支流川手川に挾まれる洪積世丘陵地に位置するはじめ五名村と称したが,嘉永2年蔵岡村と改称鳥取藩領村高は,拝領高329石余,「元禄郷村帳」376石余,「天保郷帳」421石余(うち新田高92石余),「元治郷村帳」457石余,「旧高旧領」466石余「元治郷村帳」の物成は186石余小物成は藪役が8.56匁,竹運上が1.29匁(藩史5)戸数は,天保9年27(御巡見様御通行万端諸事控),「文久3年組合帳」30正徳元年大山寺領前・鈑戸【たたらど】両村と水争論があった(県史8)また安政3年頃にも数年間同様の水争論が続いた(県史12)記録はないが,地内堂垣は温泉の湧出地で,周囲の石垣やくぼ地が残るまたその近辺には湯薬師といわれる薬師堂があったと伝えられる(大山町誌)寺院は大永元年開基と伝えられる曹洞宗真福寺,神社は客大明神があった明治4年鳥取県,同9年島根県に所属同10年原・畑・別所の3か村と合併して豊房【とよふさ】村となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」