ケータイ辞書JLogosロゴ 倉下畑新田(近世)


新潟県>中里村

江戸期の新田名魚沼郡のうち田沢村22か村の1つ魚沼山地,当間山の西南部山間倉は急峻絶壁の山肌を意味するので,地名は地形に由来すると考えられるはじめ高田藩領,天和元年からは幕府領村高は,「天和高帳」3石余,「元禄郷帳」では田沢村枝郷とあり同じく3石余寛文9年上野村(現塩沢村)との間に戸沢の開発をめぐって争論となるが,その時すでに民戸が1軒あった天和2年検地では田畑屋敷合わせて反別1町余,のち宝暦6年新田検地で新たに4町余が打ち出された元禄7年改村鑑によれば,家数2・人数27,馬2鎮守は十二社庄屋は田沢本村に置かれた江戸中期以降は田沢村の一部となったと思われるが(天保郷帳),その後も独立して扱われることがあった
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7309248
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ