ケータイ辞書JLogosロゴ 黒井村(近世)


新潟県>上越市

 江戸期〜明治22年の村名。頸城郡のうち。はじめ高田藩領,天和元年幕府領,文化6年からは再び高田藩領。村高は,「慶長国絵図」では黒江村13石余,「正保国絵図」179石余,「天和高帳」98石余・新田74石余,「天保郷帳」234石余。北国街道(奥州街道)が通り,伝馬宿が置かれた。延宝7年越州四郡高帳には「比所駅馬・船寄有之」と注記されている。役馬25匹・人足25人に定められていた。天和検地帳によれば,田方68石余(反別4町余)・畑方9石余(反別1町余),ほか塩高18石余(反別2町余),別に新田分畑方74石余(反別12町余)とある。海浜に近く,犀浜では塩焼と磯漁が盛んであった。のち,明治11年には塩浜の反別13町余となる。また,水揚げされた魚は高田・今町(直江津)に運ばれ,犀浜の「こてもの」として売られた。塩魚・干魚は遠くは信州まで運ばれた(頸城郡誌稿)。当村は年貢のほかに松柳植付冥加米・御口米・駄賃米を負担し,さらに川役・鍛冶役・船役・鮭役・紺屋役・風呂屋役・大工役・桶屋役・棟役などの諸役も多かった。文化6年村明細帳(中頸城郡誌)によれば,棟数173,うち本棟13(1軒につき上銀3匁1分3厘を負担)・名子棟160(同上銀1匁4厘4毛),人数896,馬11。神社は八幡・稲荷・諏訪社(のち3社は合祀して黒井神社となる)。寺院は曹洞宗大慈院・真宗大谷派本敬寺。明治7年黒井小学校が開校。同12年からは中頸城郡に所属。同17年連合戸長役場を当村に置く。同21年の戸数205・人口1,154。同22年八千浦村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7309301
最終更新日:2009-03-01




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