ケータイ辞書JLogosロゴ 下条(中世)


新潟県>水原町

 鎌倉期〜戦国期に見える条名。越後国蒲原郡白河荘のうち。乾元2年6月29日の大見頼資所領配分目録に「白河庄下条温川条」「白河庄下条山浦」が見える(反町大見安田文書)。白河荘のうちが上条と下条に区分されたうちの一方にあたると思われる。鎌倉初期,伊豆の豪族大見氏が白河荘の地頭職に補任され,一族が荘内に展開するが,文永2年12月13日の大見政家譲状に見える下条平三郎家久は,当地に居を構えた大見氏の一族か(同前)。観応2年2月13日足利尊氏は細川頼和に「白河庄上下条〈佐々木近江入道跡〉」を勲功の賞として宛行った(野田文書)。下条のうちとして温川条内次郎丸・山浦・はうやき名・山口・小里などが見えるので,白河荘北部の笹神村・水原【すいばら】町・京ケ瀬村にまたがる広い地域であった。戦国期に入ると,天正6年9月14日の上杉景虎書状に「下条・水原」と見え(長野県立長野図書館所蔵文書),その範囲はかなり限定されたと思われる。天正初年の上杉家軍役帳に下条采女正の名が見える(上杉家文書)。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7309392
最終更新日:2009-03-01




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