ケータイ辞書JLogosロゴ 顕聖寺(近代)


新潟県>浦川原村

 明治22年〜現在の大字名。はじめ下保倉村,昭和30年からは浦川原村の大字。下保倉村役場が置かれた。大正5年頸城鉄道新黒井〜顕聖寺間が開通,浦川原駅新設。大正9年戸数45・人口240。昭和3年浦川原駅を起点に直江津〜高田間に定期乗合自動車が走る。同19年東京都葛飾区柴又国民学校の児童が疎開し,顕聖寺に宿泊,下保倉小学校に通学。同33年浦川原中学校新築の整地作業中に顕聖寺遺跡を発見し,縄文時代晩期の住居跡を発掘。同41年大瀁用水の顕聖寺堰完成,同43年頸城鉄道浦川原〜飯室間路線廃止。同46年タナシン電気浦川原進出。過疎化の進行を抑えた。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7309430
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ