ケータイ辞書JLogosロゴ 高道山村(近世)


新潟県>中里村

江戸期の村名魚沼郡のうち田沢村22か村の1つ信濃川支流清津川右岸,河岸段丘上はじめ高田藩領,天和元年からは幕府領村高は,「正保国絵図」11石余,「天和高帳」「元禄郷帳」ともに19石余天和2年検地では田畑屋敷合わせて反別4町余,のち宝暦6年新田検地で新たに8町余が打ち出された元禄7年改村鑑によれば,家数2・人数16,馬3鎮守は十二社街道は山地村々への道が通っていた庄屋は田沢本村に置かれた享保7年庄屋の取立てが強すぎるとして山地10か村の陣頭になり田沢村内山地組10か村の独立を役所へ願い出,いったんは日野代官の許可を受けたが,以後は庄屋の村割に立会う山地組頭を置くことでもとに復した台地上の村で,田の用水は年々不足がちであったが,桔梗ケ原新田開発により潤沢となった江戸中期以降は田沢村の一部となったと思われるが(天保郷帳),その後も独立して扱われることがあった
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7309521
最終更新日:2009-03-01




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