ケータイ辞書JLogosロゴ 駒帰(中世)


新潟県>青海町

戦国期に見える地名越後国頸城【くびき】郡のうち「廻国雑記」によれば文明18年7月,聖護院道興准后は越中宮崎から頸城郡の沿岸部を経て越後国府に赴く途中,「駒がえりといへる所」を通り,「行末をいそくとすれと跡にのみ心をかくるこまかへりかな」の歌を詠んでいる(群書18)弘治2年8月には越中に走った大熊朝秀らが長尾景虎を攻めたが,庄田定賢・上野家成のため当地で迎え討たれて,敗北したといい,同年8月25日付長尾景虎感状には「従去廿三,越中口,大熊備前守以下乱入,於駒帰一戦」と,この間の事情を伝えている(上野文書/越佐史料)また,天正9年と推定される8月25日付秋山定綱・須賀盛能連署状には「駒返事之道之義も,山下中之者共申付,為作申候」とあって,この時,糸魚川に下った秋山らが当地の道の作事を命じたという(上杉家文書)現在の青海【おうみ】町歌の沿岸部,駒返しに当たる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7309832
最終更新日:2009-03-01




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