ケータイ辞書JLogosロゴ 小谷内村(近世)


新潟県>栄町

江戸期〜明治21年の村名蒲原郡のうち嵐南低湿地の東部地名の由来は,谷内の語源から推して,荒蕪地を開拓した小地域の意であろう戦国期に指出村の土豪北沢覚三郎が移り開拓したと伝える(小村恒太郎文書)はじめ新発田【しばた】藩領,寛政元年からは幕府領明暦元年・天明6年に検地実施村高は,「正保国絵図」120石余,「元禄郷帳」126石余,「天保郷帳」129石余名主は北沢家の世襲で,その19代北沢又左衛門は朝陽館に入門,次いで江戸へ遊学し,帰郷して北海学舎で多くの子弟を教授,天保5年62歳で病没謝恩の碑文は江戸の萩原緑野の撰文で,高安寺村の山麓に建つ明治12年南蒲原郡に所属同21年帯織村の一部となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7309882
最終更新日:2009-03-01




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