ケータイ辞書JLogosロゴ 西方新田(近世)


新潟県>中里村

江戸期の新田名魚沼郡のうち倉俣村10か村の1つ西方畑新田ともいった信濃川支流清津川左岸地名は,西方川が地内を流れていることに由来するはじめ高田藩領,天和元年からは幕府領村高は,「天和高帳」では西方村新田1石余,「元禄郷帳」では倉俣村枝郷とあり同じく1石余天和検地では,反別6反余,のち宝暦6年新田検地で新たに4町余が打ち出された元禄7年改村鑑によれば,家数1・人数13,馬2神社は十二社庄屋は倉俣本村に置かれた開発時は畑新田で,宝暦検地で初めて田を竿請けする江戸中期以降は倉俣村の一部となったと思われるが(天保郷帳),その後も独立して扱われることがあった
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7309936
最終更新日:2009-03-01




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