ケータイ辞書JLogosロゴ 酒屋村(近世)


新潟県>新潟市

 江戸期〜明治22年の村名。蒲原郡のうち。東坂(酒)屋村とも称した。小阿賀野川の附州を天文年間北上村(現新津市)から移住した北上勘之丞が開発したという(皇国地誌)。枝郷に花牧村があった。はじめ新発田【しばた】藩領,慶長15年沢海【そうみ】藩領,貞享4年幕府領,宝永2年(一説に宝永4年)旗本小浜氏知行,天保14年幕府領,慶応元年からは会津藩領。村高は,「元禄郷帳」に「古ハ東坂屋村」と肩書きされ343石余,「天保郷帳」360石余。信濃川と小阿賀野川の合流点に位置し,古くから阿賀野川舟運の船着き場となっており,在郷町として発展した。宝暦年間には六斎市も立った。慶応3年会津藩の陣屋が福岡村(現水原町)から移されている。元禄3年の家数約40。庄屋は開発者北上家が世襲。鎮守は八坂社・諏訪社合殿。八坂社は元八王寺権現と称し,明治3年改称。享和元年諏訪社を八坂社に合祀。寺院は,真宗大谷派西養寺・覚応寺・敬覚寺・敬明寺・本敬寺・養楽寺。明治4年の戸数213。「皇国地誌」によれば,反別は田89町余・畑34町余・宅地6町余,戸数307・寄留1・社1・寺6,人口1,353,女性で縫織を業とする者30人,物産は米・麦・淡水魚・果実・下駄・下駄緒・草履・草鞋・傘・戸・障子・箪笥など,商工業者が過半数を占めとおり,とくに大工・木羽職が多かった。明治6年北条家(北上家の改称)宅を借用,早通校第一分校設置(明治17年酒屋校と改称)。同12年中蒲原郡に所属。同22年市制町村制施行による酒屋村となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7310020
最終更新日:2009-03-01




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