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- 塩沢郷(中世)とは
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塩沢郷(中世) 戦国期に見える郷名巨摩【こま】郡のうち天正10年2月2日の穴山信君判物写によれば,波木井【はきい】川下流の塩沢郷が松野(静岡県富士川町)の替え地として久遠寺に永代寄進され,参道の門前町(身延町)の住人の一部が塩沢へ移住しているが(久遠寺文書/甲州古文書2),以後,塩沢の地は三門から総門の間に形成された寺中の町を補完する第2の町場として発展する天正18年8月23日の羽柴秀勝印判状写でも身延山の塩沢支配を認め,「拾貫文塩沢・拾貫文八日市場 武田梅雪斎(穴山信君)山中江囲入之地,不可有相違事」と見える(同前)現在の身延町身延のうち通称塩沢付近に比定される |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」