ケータイ辞書JLogosロゴ 次第浜村(近世)


新潟県>聖籠町

 江戸期〜明治22年の村名。蒲原郡のうち。新発田【しばた】藩領。村高は,「正保国絵図」25石余,「元禄郷帳」35石,「旧高旧領」74石余。なお,「天保郷帳」には当村名が欠けている。慶長3年頃の御領内高付帳(新発田市史資料)には7石6斗3升,塩年貢浦役9石とある。同15年頃の新発田藩給知方ほど役帳(同前)によれば,濁酒役4斗,商人役1石7斗を納入。天和3年御領内検分之書付(貴船家文書)では,家数37・人数229。生業は漁業中心。30m以上の高所にあるため水利が悪く第2次大戦までは弘法大師の伝説のある共同井戸が1本しかなかった。山王権現は近郷数里の産土神と仰がれた古社で,明治初年に日枝神社と改称。現在の御神体は寛政4年輪王寺の一品親王より次第浜の住人関ノ戸八郎治という力士に賜ったものを勧請したもので,同親王よりの赤地錦の幕,桐菊の紋のある御旗が伝えられている(聖籠町誌)。天喜4年源義家,永禄4年上杉謙信奉納の神門,寛延4年新発田藩主溝口秀勝奉納の絵馬の大額(狩野玉栄筆)がある。寺院は,曹洞宗永泉寺がある。境内には大人6人でやっと抱えられるほどの大ケヤキがあったが,昭和36年の第2室戸台風で損傷を受け伐採した。樹齢500〜700年といわれる古木であった。明治12年北蒲原郡に所属。同年荒井浜小学校第1次第浜枝場が開学し,同18年網代小学校次第浜分場となる(聖籠町誌)。同22年亀代村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7310388
最終更新日:2009-03-01




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