ケータイ辞書JLogosロゴ 下猪子田村(近世)


新潟県>浦川原村

 江戸期〜明治22年の村名。頸城【くびき】郡のうち。はじめ高田藩領,天和元年からは幕府領。村高は,「慶長国絵図」127石余,「正保国絵図」52石余,「天和高帳」60石余,「天保郷帳」88石余。用水は保倉谷用水を利用。宝暦2年には,荒堰から取水しており,水掛高37石余(石田家文書)。明和年間のものと思われる山里蝋実穂村別帳(国立史料館蔵)によれば,定納の山蝋実4升余・里蝋穂12貫450匁のほか,臨時納として里蝋穂510匁を吉木(新井市)の蝋点所に納めている。安永9年の新田検地で新たに27石余が打ち出された。しかし,同検地では荒地同然の地まで竿入したので,年貢上納が困難だとして,寛政元年再検地願を出している(村松家文書)。神社は日吉神社。明治12年からは東頸城郡に所属。同21年の戸数20・人口129。同22年中保倉村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7310557
最終更新日:2009-03-01




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