ケータイ辞書JLogosロゴ 下小野村(近世)


新潟県>柿崎町

 江戸期〜明治22年の村名。頸城【くびき】郡のうち。はじめ高田藩領,天和元年幕府領,文化6年からは高田藩領。村高は,「慶長国絵図」308石余,「正保国絵図」388石余,「天和高帳」397石余・新田13石余,「天保郷帳」417石余。天和検地後とみられる国田組村々明細書上帳によれば,反別は本田分田29町余・畑2町余,新田分田5反余・畑1町余,山6町余,溜1。また,家数27・人数162,馬25(中村家文書)。用水は慶長年間創設の柿崎川初田用水を8か村で利用。上流のため恵まれた条件下にあったが,水不足時はしばしば水下の村との間に争論が起きた。水論は安永3年・天保13年・文久2年と訴訟が続いた(吉井家文書)。神社は大明神・白山権現。寺院は浄土真宗本願寺派安養寺(もと天台宗新光寺か)。ほかに十王堂・地蔵堂がある。明治12年からは中頸城郡に所属。同21年の戸数44・人口255。同22年下黒川村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7310581
最終更新日:2009-03-01




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