ケータイ辞書JLogosロゴ 下源入村(近世)


新潟県>上越市

 江戸期〜明治22年の村名。頸城【くびき】郡のうち。はじめ高田藩領,天和元年からは幕府領。村高は,「慶長国絵図」では下玄女村126石余,延宝7年越州四郡高帳88石余,「天和高帳」195石余,「天保郷帳」246石余。「越後名寄」に「昔者アフゲノ橋,荒川今ノ舟渡場ヨリ少シ水上,門前ト云フ処ニ応化橋有テ,直江ノ今町ヨリ,春日新田ノ往還ナリシニ」とあり,山椒大夫の安寿と厨子王の伝説を記す。神社は山王社。明治9年村位田方収穫米付帳(明治大学刑事博物館蔵)によれば,反別は田29町余・畑2町余。明治12年からは中頸城郡に所属。同21年の戸数12・人口65。同22年有田村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7310634
最終更新日:2009-03-01




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