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- 下新村(近世)とは
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![]() | 下新村(近世) 江戸期~明治7年の村名筑摩郡のうち梓川右岸に位置する延宝2年北新村から分村して成立松本藩領村高は,「元禄郷帳」347石余,「天保郷帳」418石余,「旧高旧領」497石余延宝2年の検地帳によると,田21町7反余・畑5町余,北原分として田3町3反余,畑2町4反余,本百姓15軒,門屋敷7軒,御蔵屋敷などがあった安政2年の安曇筑摩両郡の村々明細書上帳(県史近世史料5-1)では,島立組に属し,家数59・人数289(男153・女136),嘉永3年の宗門御改帳は人数294(男157・女137)梓川から分水した栗林堰は,当村本田付近で天井川となり栗林村へ流れる北新村や当村の水田を潤してきた南沢・清浄院堰などの新村堰掛りの水はすべて高綱堰に流れ落ち南下する北新村に近い上手町集落には南北の道が通り,町割りがしてあり,南の口に鉤の手が残る東新村から当村本田を経て小宮村に通じる道を仁科道と称した東西の道には野麦道がある当村の大池八郎右衛門は延享元年から宝暦14年まで島立組の大庄屋を勤めた小作の地にある阿弥陀堂の初庚申は近郷の参詣者でにぎわった明治元年中馬裁許状の中馬稼村々馬数では当村は10疋明治4年松本県を経て筑摩県に所属同7年新村の一部となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」