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下曽根村(近世) 江戸期~明治20年の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
下曽根村(近世) 江戸期の村名佐久郡のうち浅間山のすそ野が南東に緩やかに傾斜して佐久平へ移行するあたりに位置する小諸藩領村高は,「天正貫之帳」91貫,「正保書上」に「永不作無村」として160石当村が廃村となった時期は明らかではないが,元和3年の「御郡中永楽高辻」(信叢11),同8年の「佐久郡高書上帳」(同前),寛永元年の松平五郎新知郷村引渡証文(県史近世史料2-1),慶安4年の青山宗俊新知郷村物成引渡証文(同前),「寛文朱印留」にはそれぞれ当村の名が書き上げられているしかし元禄16年の牧野康重新知郷村引渡証文(同前)では名は見られなくなり,この頃形式的にも一村として扱われなくなったと思われる「正保書上」に無村とあるように江戸初期に廃村となったが,慶安3年柏木村の郷士柏木小右衛門によって再開発が行われ,御影新田村の一部となるなお「旧高旧領」に下曽根村160石とあるが,明治9年の市村と市村新田の合併記録に,「下曽根村と云は慶長の後,亡村すと雖も村名なお存し,維新前旧幕府県官地の内一村なり」とあって市田村の鷺林地区にあったとする(県町村誌)... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
下曽根村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」