ケータイ辞書JLogosロゴ 下早通村(近世)


新潟県>亀田町

江戸期〜明治10年の村名蒲原郡のうち信濃川水系小阿賀野川下流域右岸早通の地名の由来は,当地が新田開発されたことにより当地を通り抜けると新潟・沼垂方面への近道になったことにちなむと伝える村の成立年代については,上早通村より地形的にやや低いため寛永13年成立の同村よりやや遅れるが,村内の諏訪社勧請が延宝7年なので寛永13年〜延宝7年の間であろうはじめ沢海【そうみ】藩領,貞享4年幕府領,享保元年旗本小浜氏知行,安永5年一部が幕府領となって幕府と旗本小浜氏の相給となり,文政12年幕府領分が新発田【しばた】藩領となり,弘化4年旗本小浜氏知行分も新発田藩領となって以後は全域が同藩領となるなお,享保元年〜弘化4年の間旗本小浜氏知行であった地は下早通村下組と呼ばれ,本村と区別されて一村扱いとされることもあった村高は,「元禄郷帳」943石余,「天保郷帳」944石余寺社は,諏訪社,真宗大谷派西光寺がある明治7年の戸数71,うち農業67・商業1・工業1・日雇1・医師1同10年早通村の一部となる
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7310794
最終更新日:2009-03-01




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