ケータイ辞書JLogosロゴ 重地村(近世)


新潟県>中里村

江戸期の村名魚沼郡のうち倉俣村10か村の1つ清津川支流釜川流域はじめ高田藩領,天和元年からは幕府領村高は,「正保国絵図」では重乳村19石余,「天和高帳」40石余・新田20石余,「元禄郷帳」60石余天和検地では反別7町余,のち宝暦6年新田検地では新たに15町余が打ち出された元禄7年改村鑑によれば,家数12・人数138,馬16重地新田は慶安元年の開発,無民戸庄屋は倉俣村におり,当村には組頭が置かれた神社は十二社江戸中期以降は倉俣村の一部となったと思われるが(天保郷帳),その後も独立して扱われることがあったのち天保8年津南郷の百姓一揆では,当村から首謀者が出ている
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7310889
最終更新日:2009-03-01




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