ケータイ辞書JLogosロゴ 正明寺村(近世)


新潟県>刈羽村

 江戸期〜明治22年の村名。刈羽郡のうち。元和2年長峰藩領,同4年高田藩領,天和元年幕府領,貞享2年高田藩領,宝永6年高田藩と旗本安藤氏の相給。こののち高田藩領分は寛保元年白河藩領,文政6年からは桑名藩領となる。村高は,「天和高帳」224石余・新田17石余,「天保郷帳」295石余,「旧高旧領」では,安藤氏知行215石余・桑名藩領28石余。「白川風土記」によれば,家数41,うちわずか3軒が白河藩領の民家とある。また,しばしば飛砂の害に苦しみ,砂山の砂が冬の間吹き立て人家や往来を埋めたり,通行人に吹き掛けるので,長さ50間程の葭簀で垣を設けているとある。天保7年砂除垣御普請諸入用取立帳などは砂防工事の一端を伝えている。幕府領となった時,完全な砂防工事実施のため,幕府領移封を願い出たこともある(刈羽村物語)。日本武神社は開発者小国源左衛門正明の創建で,集落移転とともに移動したと伝えられる。境内の不動明王の堂は明治4年廃止。同22年刈羽村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7310984
最終更新日:2009-03-01




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