ケータイ辞書JLogosロゴ 真光寺村(近世)


新潟県>浦川原村

 江戸期〜明治22年の村名。頸城【くびき】郡のうち。はじめ高田藩領,天和元年からは幕府領。村高は,「慶長国絵図」48石余,「天和高帳」62石余,「天保郷帳」80石余。天和検地では,反別田2町余・畑3町余・山林15町余。明和3年後背地北側の斜面から高谷川に向かって大地滑りが発生,村内の約半分の田畑を失う(浦川原村史)。明和年間のものと思われる山里蝋実穂村別帳(国立史料館蔵)によれば,定納の山蝋実8合余・里蝋穂28貫428匁を吉木(新井市)の蝋点所に納めている。安永9年の新田検地で新たに18石余が打ち出された。文化3年,絶家となった百姓株を継ぐ以外の新分家を認めないことを村内で取り決めた。また,持高3石以下のものの分家も禁止した(同前)。文政10年庄屋彦四郎は中村幸右衛門から酒造株を譲り受け,酒造稼ぎを開始。弘化4年の大地震で,40軒のうち6軒が大破,けが人1人を出した。地震後,代官所へ年貢減免を願い出た。神社は熊野神社。明治10年和田小学校付属真光寺校が新築・開校。同12年からは東頸城郡に所属。同21年の戸数40・人口279。同22年月影村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7311061
最終更新日:2009-03-01




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