ケータイ辞書JLogosロゴ 水田村(近世)


新潟県>小須戸町

 江戸期〜明治22年の村名。蒲原郡のうち。新発田【しばた】藩領。村高は,文禄4年検地帳234石余(ただし隣村の小向村を含む),「正保国絵図」170石,「元禄郷帳」171石余,「天保郷帳」222石余。慶安4年水田新田を分村(小須戸与・新津与・大面与・中之島与新田年号并枝村方角道法付)。この水田新田は,「元禄郷帳」では当村とは別に村高が付され,34石余とあるが,「天保郷帳」では当村のうちに含まれており,江戸後期までに再び当村に合併した。寛文7年には23戸・161人,また水田新田は11戸・30人(御領内見分之書付),慶応2年に53戸(両組産業開物之巻)。名主は幕末まで一貫して横山家が勤め,当主は代々権之助を襲名した。元禄10年の諸寺院本末開基山号秘録に曹洞宗千昌寺が記される。同寺は天正3年に横山家が創建したと伝える(小須戸組旧家書上略)。神社は,寛政9年の村々宮社之訳書上帳に諏訪社2社が記される。信濃川に渡船が置かれた。明治12年中蒲原郡に属す。同16年には大工5人・諸職人5人など計21人の商工業従事者がいた(明治十六年一月ヨリ十二月マデ商金高取調簿)。同21年の戸数55・人口364。同22年横水村の大字となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7311174
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ