ケータイ辞書JLogosロゴ 須川村(近世)


新潟県>守門村

 江戸期〜明治22年の村名。魚沼郡のうち。元和2年長岡藩領,同4年高田藩領,同5年福島正則領(万代記録帳/五十嵐家文書),同7年幕府領,寛永元年高田藩領,延宝9年幕府領,文久元年からは会津藩領。村高は,慶長14年村指出帳13石余,「正保国絵図」14石余,「天和高帳」32石余・新田8石余,「天保郷帳」65石余。天和3年検地帳では田2町余・畑2町余。宝暦5年の家数12・人数74,馬4。文化初年頃の家数は,本村9・清右衛門新田6・向松川5の計20(新編会津)。鎮守は十二神社。農業のほか,男は材木・木呂【ころ】・薪を切ったり鼻不嚙【はなかまず】舟(丸木舟)を造って四日町河岸で商い,女は白布・小白布・縮・紬を織り養蚕を行う。また,山漆木があり,蝋実は領主の買上げとなる。破間川には船渡しがある。川漁をして沢鱒を捕り,川役を上納する。宝暦13年〜明和元年の須原村など上条村々の大山論に参加。元治元年生糸・絹織物に新規に課税する七品運上品替に反対する上条村々の議定に当村も連判。慶応2年7月18日夜堀之宿郷元(運上請負人)打毀に当村民も押し出したという。慶応4年会津藩小出島陣屋は村役人を郷兵・村兵に徴集,閏4月27日の小出島戦争に従軍する。明治5年の租税は,本途米18石余,川税8厘余,小役27銭余,戸数29・人口178。同12年北魚沼郡に属す。同15年並柳学校大倉沢分校の須川派出教場を設置し,冬期6か月間授業を行うが,同18年廃止。同21年の戸数36・人口229。同22年広瀬村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7311218
最終更新日:2009-03-01




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