ケータイ辞書JLogosロゴ 砂山新田(近世)


新潟県>加治川村

 江戸期〜明治22年の新田名。蒲原郡のうち。享保20年に初検地をうけた紫雲寺潟新田の1村で,新発田【しばた】町の白勢長兵衛が干拓地70町歩の後願人として請地としたことにより成立した。幕府領。村高は,元和元年検地帳540石余,「天保郷帳」547石余。元文元年検地帳によれば,高付けされた反別は56町余,ほかに除地として秣場・萱野などがあり,総反別59町余,飛地が真野原などに5か所ある。村域は,奥村新田の本村および飛地と入り組んでいた。御巡見使案内帳では御遠見村として戸数30・人数150とあり,開拓当初は真野原・築地原など他村での居住もみられた。庄屋ははじめ長兵衛が勤めたが,幕末には真島沢内が勤め,この真島家は明治中期には150町余を集積する大地主となった。神明社がある。明治11年の「小三区村誌」によれば,税地は田60町余・畑11町余・宅地3町余など総計78町余,戸数41(農39・医1・工1),人口224,馬2。同12年北蒲原郡に所属。同18年の戸数37・人口228,職工14,社寺2,学校1,馬4,田60町余・畑11町余,米420石余(金子村戸長役場村勢一覧)。同22年泉村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7311291
最終更新日:2009-03-01




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