ケータイ辞書JLogosロゴ 関井新田(近世)


新潟県>紫雲寺町

 江戸期〜明治22年の新田名。蒲原郡のうち。享保20年に初検地をうけた紫雲寺潟新田の1村で,はじめは同新田開発の後願人新発田【しばた】町三太兵衛の請地であったが,鍬下期間中に三日市町の豪商藤屋関甚兵衛へ大半が譲られた。はじめ幕府領,文久2年からは会津藩領。ただし,「旧高旧領」では幕府領とある。村高は,元文元年検地帳253石余,「天保郷帳」254石余。元文元年検地帳によれば,村高の反別は28町余,ほかに除地があり,総反別29町余。庄屋ははじめ稲荷岡新田庄屋三太兵衛が兼帯で勤めたが,のち関氏分家孫兵衛が三日市町より移って勤めた。文化年間に当村と大中島新田との間にたびたび用水出入が行われた(大中島神田礼次郎蔵文書)。明治11年の「小三区村誌」によれば,税地は田25町余・畑6町余など総計35町,戸数25・人口142,民業は主として農業で,貢租は米63石余・金4厘余,馬1,物産は米・菜種・蕎麦・煙草・甘薯・西瓜など。同12年北蒲原郡に所属。同22年紫雲寺村の大字となる。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7311357
最終更新日:2009-03-01




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