ケータイ辞書JLogosロゴ 千手新田(近世)


新潟県>川西町

 江戸期の新田名。魚沼郡のうち。もとは千手観音堂の門前町を千手堂町と称し,周辺の千手市場組合7か村を千手と総称した。江戸初期,寛永年間頃,水口沢・上新井・東善寺・中屋敷・沖立・宗正・山野田の各村が水口沢村地内に千手新田を開発,市場を中心とする町家が形成された。はじめ高田藩領,天和元年からは幕府領。村高は,「正保国絵図」156石余,「天和高帳」「元禄郷帳」ともに25石余。天和3年検地では,反別畑3反余・屋敷約3町。7か村による高割は不分明。延享4年村絵図には,家並みの中央に幅3間2尺の道を描き,「此筋千手新田町,中六尺余ハ往還,両脇七尺余ヲ小屋場トシテ市時ニ用フ」と記載され,東西両側に45軒の町家が並ぶ。江戸中期には水口沢村に吸収されたと思われ,「天保郷帳」では水口沢村に「古者水口沢村・千手新田二ケ村」と注記されている。
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7311452
最終更新日:2009-03-01




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