ケータイ辞書JLogosロゴ 雑水山新田(近世)


新潟県>中里村

江戸期の新田名魚沼郡のうち倉俣村10か村の1つ信濃川右岸台地上地名の由来は,古くから雑水山と呼ばれていた場所を開いたことによる慶安元年の開発はじめ高田藩領,天和元年からは幕府領村高は,「天和高帳」49石余,「元禄郷帳」では倉俣村枝郷とあり同じく49石余天和検地では反別6町余,のち宝暦6年新田検地で新たに32町余が打ち出された元禄7年改村鑑によれば,家数4・人数55,馬5庄屋は倉俣村本村に置かれた開発以来畑が多く,わずかな出水で水田耕作をしていたが,文政4年秋成村見玉のあたり沢から長水江路の水田用水普請を始め,10余年の歳月を費やして雑水山用水を完成させた神社は神明社江戸中期以降は倉俣村の一部となったと思われるが(天保郷帳),その後も独立して扱われることがあった
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(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7311496
最終更新日:2009-03-01




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