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- 高沢村(近世)とは
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![]() | 高沢村(近世) 江戸期~明治8年の村名最上地方,真室【まむろ】川沿岸に位置する最上郡のうちはじめ最上氏領,元和8年からは新庄藩領大沢郷に属す村高は,「新田本新庄領村鑑」では元和8年154石余・元禄13年162石余,「天保郷帳」185石余,「旧高旧領」595石余明和3年の反別41町7反余,年貢高470石余,家数・人数は,寛政6年22軒・152,文化9年26軒・167,枝郷は明土【あくと】(吉村本新庄領村鑑)「新田本新庄領村鑑」には「今川野内村添郷と成る,当村者山林無之村故上納の柴薪も他村より伐取るなり」とある神社は熊野権現明治8年川内村に合併 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 高沢村(近世) 江戸期~明治8年の村名豊後国大野郡藤北郷のうち文禄3年から岡藩中川領大分川支流七瀬川の上流域に位置する今市組に属した村高は「正保郷帳」130石余,うち田84石余・畑45石余,「見稲簿」「天保郷帳」ともに130石余,「旧高旧領」162石余岡藩領今市組小原【おはら】村と境を接する明治4年大分県に所属同8年小原村と合併し,両村名の1字ずつを取って高原【たかはら】村となる現在の大分郡野津原【のつはる】町大字高原のうち... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」