ケータイ辞書JLogosロゴ 高寺村(近世)


新潟県>柿崎町

 江戸期〜明治22年の村名。頸城郡のうち。はじめ高田藩領,天和元年幕府領,文化6年からは高田藩領。村高は,「慶長国絵図」190石余,「正保国絵図」140石余,「天和高帳」208石余・新田43石余,「天保郷帳」253石余。天和検地以後とみられる国田組村々明細書上帳によれば,反別は本田分田4町余・畑1町余,新田分3町余,家数14・人数88,馬13(中村家文書)。用水は慶長年間近隣8か村で創設した柿崎川上流の初田堰を利用。安永3年上小野・下小野・柳ケ崎・角取の上4か村と高寺・荻谷・行法・川井の下4か村との間に水論が発生(竹内家文書),天保13年・文久2年にも訴訟が起きている(吉井家文書)。鎮守は諏訪神社。明治12年からは中頸城郡に所属。同15・19年,一帯にコレラが猖獗を極めた折,塔の原に避病院が設けられた。同21年の戸数27・人口175。同22年下黒川村の大字となる。
解説文を自分にメール
メアド:Milana@docomo.ne.jp

(C)角川日本地名大辞典「旧地名」
JLogosID:7311718
最終更新日:2009-03-01




ケータイ辞書 JLogosトップ