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- 田上村(近世)とは
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田上村(近世) 江戸期~明治22年の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
田上村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
田上村(近世) 江戸期~明治7年の村名飽田【あきた】郡のうち熊本平野中央部,井芹川左岸に広がる台地上に位置する熊本藩領村高は「旧高旧領」252石余慶長13年の検地帳(県立図書館蔵文書)では「鹿子木之内田上村」と見え,高250石余,反別は田9町6反余・畠19町9反余,竈数5,人数は男7・女7,馬1・牛2「肥後国誌」によれば五町手永に属し,高252石余,神社に権現宮がある熊本県を経て,明治5年白川県に所属同7年硯川村の一部となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
田上村(近世) 江戸期~明治11年の村名常陸国茨城郡のうち吾国山の北麓,稲田川上流域に位置するはじめ佐竹氏領,元禄年間・幕末期ともに笠間藩領村高は「元禄郷帳」「天保郷帳」「旧高簿」ともに893石余明和年間の村高893石余・反別125町4反余(新編常陸)寺院は天台宗南蔵院(同前)明治4年茨城県,同11年西茨城郡に所属明治11年福原村の一部となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」